“超出”(ユーモア)
生理の声を聞いておるのだ
生理はけして成長しない
赤ん坊のようなものだ
だから僕は可哀そうになって
生理の話をずっと聞いてやっておるのだ
始終、飢え渇き
絶えず“欲しいよ”と泣きっぱなしのこいつ
たとえ自我が成長しても
たとえ管理するスキルがあがっても
絶対にこいつは手なずけられない
生理は
“寂しがり屋の暴君”なのだ
“永遠の野蛮”なのだ
簡単にいってしまえば
“宇宙そのもの”なのだ
手なずけることを諦めた時
少し道は開けるのかもしれない
ただ・・・
こいつの声をよく聞いてやること
こいつの動きをじっくりと観察してやること
その事の中に
生きる“矛盾”に対する
“超出”(ユーモア)
があるのかもしれない
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